1999年公開の『マルコヴィッチの穴』(原題:Being John Malkovich)は、スパイク・ジョーンズ監督、チャーリー・カウフマン脚本による異色のファンタジー・コメディ。実在の俳優ジョン・マルコヴィッチを題材にした奇想天外な物語であり、現実と幻想が交錯する独創的な世界観で高い評価を受けた。
物語は、冴えない人形師クレイグ(ジョン・キューザック)が偶然発見した秘密の小部屋から、俳優ジョン・マルコヴィッチ(本人)の意識の中に入り込めることを発見し、その奇妙な体験を商売にするという展開。次第に、クレイグ自身のアイデンティティが揺らぎ、周囲の人々もマルコヴィッチの体をめぐる奇妙な欲望に飲み込まれていく。
本作は、独創的なストーリーとシュールなユーモアが話題を呼び、インディペンデント映画ながらも高い評価を獲得。第72回アカデミー賞では脚本賞・監督賞・助演女優賞(キャメロン・ディアス)の3部門にノミネートされ、カルト的人気を誇る作品となった。ジョン・マルコヴィッチ自身が本人役を演じ、自身を皮肉たっぷりに描いたことも、本作のユニークな魅力のひとつである。
『マルコヴィッチの穴』あらすじ紹介(ネタバレなし)
冴えない人形師クレイグ・シュワルツ(ジョン・キューザック)は、生活のためにマンハッタンのオフィスビルで文書整理の仕事を始める。彼の職場はなぜか7と1/2階という中途半端なフロアにあり、天井が低く、不思議な雰囲気を漂わせていた。ある日、クレイグはオフィスの壁の中に隠された小さな扉を発見する。
その扉に入ると、彼はなんと俳優ジョン・マルコヴィッチ(本人)の意識の中に入り込み、15分間だけ彼の視点で世界を見ることができると知る。驚いたクレイグは、この奇妙な体験を職場の同僚マキシン(キャサリン・キーナー)に話す。マキシンはすぐにビジネスのチャンスを見出し、他人にも「マルコヴィッチ体験」を有料で提供することを提案する。
一方、クレイグの妻ロッテ(キャメロン・ディアス)もマルコヴィッチの中に入る体験をし、それをきっかけに自分の新たな一面に目覚める。やがて、クレイグは単にマルコヴィッチの意識に入るだけでなく、彼を完全に支配しようと企み始める。こうして、奇妙な三角関係とアイデンティティをめぐる騒動が巻き起こり、事態はますます予測不能な方向へと進んでいく——。
『マルコヴィッチの穴』の監督・主要キャスト
- スパイク・ジョーンズ(30)監督
- ジョン・キューザック(33)クレイグ・シュワルツ
- キャメロン・ディアス(27)ロッテ・シュワルツ
- キャサリン・キーナー(40)マキシン
- ジョン・マルコヴィッチ(46)ジョン・マルコヴィッチ
- オーソン・ビーン(71)レスター社長
- チャーリー・シーン(34)チャーリー
- メアリー・ケイ・プレイス(52)フロリス
(年齢は映画公開当時のもの)
『マルコヴィッチの穴』の評価・レビュー
・みんなでワイワイ | 5.0 ★★★★★ |
・大切な人と観たい | 3.0 ★★★☆☆ |
・ひとりでじっくり | 3.0 ★★★☆☆ |
・奇抜な設定 | 5.0 ★★★★★ |
・本人役「マルコヴィッチ」 | 5.0 ★★★★★ |
ポジティブ評価
『マルコヴィッチの穴』は、映画史上でも類を見ないほど独創的なアイデアと、シュールなユーモアが絶妙に融合した作品である。突飛な設定を単なる奇抜なギミックで終わらせず、「自己とは何か?」「他者の人生を生きるとはどういうことか?」といった哲学的なテーマをユーモラスに掘り下げている。スパイク・ジョーンズ監督の手腕も冴え渡り、リアリティと奇想天外な要素が違和感なく共存する。
ジョン・キューザックは、夢想家でありながらどこか情けない主人公クレイグを見事に演じ、キャメロン・ディアスは野暮ったい風貌で普段の華やかなイメージを封印し、繊細な演技を披露。特に、ジョン・マルコヴィッチ本人が「ジョン・マルコヴィッチ役」を演じ、映画の中で自分自身を徹底的に弄る姿は、本作最大の見どころのひとつ。彼の自己パロディ的な演技は、シュールでありながらもどこか気品を保っている。
また、独特の美術デザインや、7と1/2階という異様なオフィス空間の設定など、細部に至るまで遊び心が満載で、何度見ても新たな発見があるのも魅力的である。
ネガティブまたは賛否が分かれる評価要素
『マルコヴィッチの穴』はサブカル系・単館系の作品として熱狂的な支持を受ける一方で、一般的な映画の文法とは大きく離脱している。その為、物語のテーマや意図に明確な理由が明らかにされず、もしかしたら監督にさえ答えがないのかもしれない。合理性よりも感覚で楽しむ構成になっているため、視聴者によっては困惑を覚える。人を選ぶ映画なのかもしれない。
こぼれ話
本作の脚本を執筆したチャーリー・カウフマンは、当初から「ジョン・マルコヴィッチの頭の中に入る話」を想定していたが、当然ながらハリウッドのスタジオからは「誰が観るんだ?」と一蹴された。しかし、カウフマンはこのアイデアを曲げることなく温め続け、最終的にスパイク・ジョーンズ監督の目に留まり、映画化が実現することになった。
ジョン・マルコヴィッチ本人に出演を依頼する際、プロデューサー側は「彼が断ったらタイトルを変えよう」と考えていたが、意外にもマルコヴィッチはこの奇抜なアイデアを気に入り、自分自身を演じることを快諾した。ただし、彼は最初に「なぜ僕じゃなきゃダメなんだ?」と質問したところ、カウフマンは「なんとなくピッタリだと思った」と答えたという。マルコヴィッチは「それならやろう」と即決し、結果的に映画史に残る奇抜なセルフパロディが誕生することになった。
また、劇中に登場する7と1/2階のオフィスは、映画のために実際に作られたセットで、天井が低く設計されていた。そのため、キャストやスタッフは撮影中ずっと前かがみで歩かなければならず、長時間の撮影では腰に負担がかかって大変だったという。この奇妙な設定は「社会の抑圧を象徴するメタファー」という説もあるが、スパイク・ジョーンズ監督は「単に面白そうだったから」と語っている。
ジョン・マルコヴィッチが自分の頭の中に入り込む「マルコヴィッチ地獄」シーンでは、エキストラ全員が彼の顔に似せた特殊メイクを施して撮影された。撮影当日、セットに入ったマルコヴィッチは、自分そっくりの人々が何十人もいる光景に「軽いパニックを感じた」と後に語っている。確かに、あのシーンは観客にとっても強烈なインパクトを残すものだった。
『マルコヴィッチの穴』は、企画段階から完成まで、すべてが実験的なプロジェクトだったが、結果的に大成功を収め、カルト的人気を獲得した。俳優の意識の中に入るという奇想天外なアイデアは、のちに『エターナル・サンシャイン』(2004年)や『アノマリサ』(2015年)といった、カウフマン作品に通じるテーマへと発展していくことになる。本作を観た後は、「自分の名前を冠した映画に主演する」というマルコヴィッチの勇気に、改めて敬意を表したくなるかもしれない。
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