管理社会と夢の逆説。ディストピアSFの異色作 ーーー
1985年公開の『未来世紀ブラジル』(原題:Brazil)は、テリー・ギリアムが監督・共同脚本を務めたディストピアSF映画である。主演はジョナサン・プライス、ロバート・デ・ニーロ、キム・グライスト。作品は、ジョージ・オーウェルの小説『1984』やフランツ・カフカの『審判』に影響を受けた世界観を持ち、過剰に官僚化された未来社会の中で翻弄される男の姿を風刺的に描いている。
制作においては多くのトラブルが発生し、特にアメリカ公開時には、配給会社ユニバーサルとの間で映画の編集を巡る対立が発生した。ギリアムが描いた皮肉的で暗い結末を、スタジオ側が「ハッピーエンド」に改変しようとしたため、監督は映画批評家を巻き込んでゲリラ的な試写会を行い、オリジナル版の評価を高めることで最終的に自身のバージョンの公開を実現させた。この出来事は、ハリウッドにおける映画の編集権を巡る象徴的な事件として語り継がれている。
本作は公開当初こそ興行的には成功しなかったものの、独創的な映像美と風刺的なストーリーが評価され、カルト的人気を獲得。アカデミー賞では脚本賞にノミネートされ、英国アカデミー賞では美術賞を受賞するなど、そのビジュアルセンスも高く評価された。現在では「ディストピア映画の金字塔」とされ、ギリアムの代表作のひとつとして位置づけられている。
『未来世紀ブラジル』のあらすじ紹介(ネタバレなし)
無機質な官僚主義と絶え間ない監視が支配する近未来の世界。情報省に勤める平凡な官僚サム・ラウリー(ジョナサン・プライス)は、毎日ミスの多い書類業務に追われながらも、夢の中では翼を持った戦士となり、美しい謎の女性を救う幻想を見ていた。
ある日、政府の手違いによって無実の市民アーチボルド・バトルが「テロリスト」として誤認逮捕される事件が発生する。サムはその修正作業を担当することになり、その過程で、夢の中で見ていた女性ジル・レイトン(キム・グライスト)とそっくりの女性と出会う。ジルは誤認逮捕されたバトルの家族を助けようと奔走していたが、政府から「容疑者」としてマークされてしまっていた。
ジルに惹かれたサムは、彼女を救うために政府のデータベースに不正アクセスしようとするが、それが原因で彼自身も政府の監視対象となる。やがて、彼は反政府活動を行う修理工ハリー・タトル(ロバート・デ・ニーロ)と出会い、政府の理不尽な体制に疑問を抱き始める。しかし、彼の行動は次第にエスカレートし、ついには国家の「敵」として追われる身となってしまう。
サムとジルは逃亡を図るが、政府の巨大な力の前では抗うことができず──
現実と幻想が入り混じる中、物語は驚愕の結末へと突き進んでいく。
『未来世紀ブラジル』の監督・主要キャスト
- テリー・ギリアム(45)監督
- ジョナサン・プライス(38)サム・ラウリー
- ロバート・デ・ニーロ(42)ハリー・タトル
- キム・グライスト(27)ジル・レイトン
- マイケル・ペイリン(42)ジャック・リント
- キャサリン・ヘルモンド(56)アイダ・ラウリー(サムの母)
- イアン・ホルム(54)カートルワッセル氏(サムの上司)
- ボブ・ホスキンス(43)スプーア(修理工)
(年齢は映画公開当時のもの)
『未来世紀ブラジル』の評価・レビュー
・みんなでワイワイ | 1.0 ★☆☆☆☆ |
・大切な人と観たい | 2.0 ★★☆☆☆ |
・ひとりでじっくり | 5.0 ★★★★★ |
・管理社会への風刺 | 5.0 ★★★★★ |
・ディストピアSF | 5.0 ★★★★★ |
ポジティブ評価
『未来世紀ブラジル』は、ディストピア映画の中でも特にユニークな作品として高く評価されている。テリー・ギリアムは、ジョージ・オーウェルの『1984』やフランツ・カフカの『審判』からの影響を受けつつ、彼独自の映像美とシュールなユーモアを融合させ、他のSF映画とは一線を画す世界観を作り上げた。
物語は全体的にシリアスなテーマを扱いながらも、ブラックコメディの要素が随所に散りばめられ、風刺とエンターテインメントが巧みに共存している。
本作の映像美は特筆すべき点であり、レトロフューチャーと無機質な官僚主義が融合した独特の美術デザインは、今なお高く評価されている。例えば、情報省の内部は広大ななスケールのオフィス空間が広がりながらも、書類のやり取り一つに異様な手間がかかるという、無駄に膨張した管理社会の滑稽さが見事に表現されている。また、サムの幻想シーンでは、圧倒的なビジュアルイメージと夢のような浮遊感が描かれ、現実世界とのコントラストが際立つ構成になっている。
キャストの演技も魅力的であり、ジョナサン・プライスは、平凡な官僚でありながら、次第に巨大なシステムに巻き込まれていくサム・ラウリーを説得力を持って演じている。最初は単なる凡庸な男だったサムが、次第に社会の欺瞞を理解し反抗していく姿を描き出した。また、ロバート・デ・ニーロ演じるハリー・タトルは、政府の圧力に屈しない自由な男として、短い登場時間ながら強烈な印象を残す。マイケル・ペイリン演じるジャック・リントは、親しみやすい人物の仮面をかぶりながら冷酷な尋問官という二面性を持ち、サムとの関係性に緊張感をもたらしている。
音楽もまた映画の雰囲気を決定づける要素の一つであり、マイケル・ケイメンが手がけたスコアは、タイトルにもなっている楽曲「Aquarela do Brasil(ブラジル)」をモチーフにしており、作品全体に奇妙なノスタルジーと皮肉な明るさを添えている。この音楽があることで、物語の持つ絶望感が和らぎ、より寓話的な雰囲気が強調される。
『未来世紀ブラジル』は、公開当初こそ商業的には成功しなかったものの、後にカルト的な人気を獲得。現代においてもなお、監視社会や官僚主義への痛烈な批判として機能し続けている。
ネガティブまたは賛否が分かれる評価要素
『未来世紀ブラジル』は独創的な映像と風刺の効いたストーリーが評価される一方で、その難解さと過剰な演出が賛否を分ける要因ともなった。最大のポイントは、物語の展開が複雑で明確な説明が少ないため、視聴者がストーリーを把握しにくいという点。
映画は官僚主義の不条理を描くことを優先しており、サムの行動や政府のシステムがどのように機能しているのかについての具体的な説明はほとんどない。そのため、人によっては何が起きているのかわからないまま話が進んでいく印象を持つこともある。また映像面では、たとえばサムの幻想シーンでは、現実と夢が入り混じる演出が続き映画のトーンが頻繁に切り替わるため、視聴者が感情的に没入しづらいと感じることもある。ギリアムは「情報過多」な映像を意図的に作り込んでいるが、結果として「過剰すぎて疲れる」との声も。さらに、キャラクターの感情描写が希薄である点も批判の対象となる。主人公サム・ラウリーが「なぜ突然ジルに執着するのか」「なぜここまで政府に対抗しようとするのか」といった動機の部分が曖昧なまま進んでいく。
と、ツラツラと作品の難解さについて述べたが、その独特な映像世界と反権力的メッセージは世界各国の批評家や映画監督から高い評価を受けており、映画史に残るカルト的名作として位置づけらる。決して万人向けとは言いがたいが、だからこそ一度は自分の目で確かめる価値がある。百聞は一見にしかず──映画の自由と可能性を問いかける本作は、映画マニアであれば一度は通るべき通過点かもしれない。
こぼれ話
『未来世紀ブラジル』は、その風刺的な内容だけでなく、製作・公開をめぐる裏話でも映画史に残る作品となった。特に有名なのが、テリー・ギリアム監督とユニバーサル・ピクチャーズとの間で起こった編集権をめぐる対立である。
ギリアムは、自身が構想した暗く皮肉な結末を含むバージョンを完成させたが、スタジオ側は「観客が受け入れやすいハッピーエンド」を求め、映画の大幅な編集を要求。最終的にギリアムは、スタジオ側の承諾を得ることなく映画評論家を招いた”秘密の試写会”を開催し、批評家たちの間で高評価を得ることで世論を味方につけた。
結果、ユニバーサルは折れ、ギリアム版が正式に公開されることとなった。この出来事は、「映画監督の芸術的ビジョンを守る戦い」としてハリウッドの歴史に刻まれている。
ギリアム自身はこの経験が影響し、彼は後に『バロン』(1988)や『Dr.パルナサスの鏡』(2009)など、より自由な表現を求める作品へと傾倒していくことになる。
ロバート・デ・ニーロ演じるハリー・タトルは、当初はもっと小さな役の予定だった。しかし、デ・ニーロ自身がこの役に強い関心を持ち、「タトルをもっと深く掘り下げたい」とギリアムに直談判したことで登場シーンが増やされた。ところが、デ・ニーロは撮影現場でのリハーサルに異常なほどのこだわりを見せ、ギリアムは「彼の撮影はまるで外科手術のようだった」と振り返っている。
一方で、ギリアムは即興的な演出を好んでいたため、両者のスタイルの違いから緊張感が生まれ、撮影は決してスムーズではなかったという。結果として、デ・ニーロの出演シーンは強烈な印象を残し、彼の演じた「自由な修理屋」というキャラクターは、政府の管理主義に対するアンチテーゼとして重要な役割を果たすことになった。
映画の象徴的なタイトル『未来世紀ブラジル』だが、実はブラジルが舞台ではなく、作中にはブラジルに関する描写もほとんどない。このタイトルの由来は、ギリアムがイギリスの海岸で『Aquarela do Brasil(ブラジルの水彩画)』という曲を聴いた際、「無機質な風景の中で流れるこの陽気な音楽が、シュールなコントラストを生み出している」と感じたことにある。そこで、ギリアムは「抑圧された世界の中で、人々が束の間の自由を夢見る」という映画のテーマを反映するために、この楽曲をタイトルのモチーフにした。映画の中で繰り返し流れる「Brazil♪」のメロディーは、官僚的な悪夢の中で主人公が追い求める幻想の象徴として機能している。
また、映画の舞台設定は「近未来」とされているが、実際のデザインは1930~40年代のレトロフューチャーな要素と、荒廃した未来都市が入り混じった独特のものになっている。これは、ギリアムが「この物語がどの時代とも特定できない、永遠に続く抑圧の世界を描く」ことを意図したためで、未来技術と旧時代の機械が同居する奇妙なビジュアルが生まれた。特に、サムの職場ではパソコンのような機械が使われているが、画面はなぜか拡大レンズを通して覗き込む方式になっている。
この「不便な未来」のデザインは、情報が高度に管理されている一方で、実際には非効率極まりない官僚主義を象徴している。
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