スペインからハリウッドへ、情熱を纏った俳優
本名ホセ・アントニオ・ドミンゲス・バンデラス。1960年8月10日、スペイン・アンダルシア州マラガ市に生まれる。父は警察官、母は教師という家庭に育ち、カトリック的な価値観と厳格な教育のもとで少年期を過ごした。幼い頃からサッカーに熱中していたが、足の負傷により夢を断念。10代後半に地元の演劇学校に通い始めたことが、俳優を志すきっかけとなる。
マドリードに移った後、スペイン国立劇場に所属し、舞台俳優として経験を積む。1982年、22歳のときにペドロ・アルモドバル監督の『セクシリア』に出演したことが映画デビューとなり、以降アルモドバル作品の常連俳優として注目されるようになる。スペイン国内で確かな地位を築いた後、1990年代初頭に英語を習得し、ハリウッドへの進出を本格化。スペイン出身の国際派俳優として、世界的な知名度を得る道を歩み始めた。
アントニオ・バンデラスの経歴
俳優としてのキャリア
1982年、22歳のアントニオ・バンデラスはペドロ・アルモドバル監督の『セクシリア』で映画デビューを果たす。以降、1980年代のスペイン映画界において『欲望の法則』(1987年)、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1988年)、『アタメ』(1990年)などアルモドバル作品に多数出演し、国際映画祭でも注目を集めるようになった。
1992年、32歳のときにハリウッド映画『モンキー・トラブル』で初の英語作品に出演。英語習得に苦労しながらも、1993年には『フィラデルフィア』でトム・ハンクスのパートナー役を演じ、アメリカでの知名度を一気に高めた。1995年には『デスペラード』で主演を務め、アクションスターとしての地位を確立。同年にはメラニー・グリフィスと結婚し、翌年には娘ステラが誕生している。
1998年、38歳のときに『マスク・オブ・ゾロ』で主演を務め、伝説のヒーロー役を情熱的かつスタイリッシュに演じて世界的な人気を獲得。2001年には『スパイキッズ』シリーズがスタートし、ファミリー向け映画でも存在感を発揮した。また、2004年にはブロードウェイミュージカル『ナイン』に出演し、舞台俳優としても高い評価を受けた。
2011年には再びアルモドバルとタッグを組んだ『私が、生きる肌』に主演し、冷徹な外科医という難役に挑戦。俳優としての深みを示す作品となった。2019年には『ペイン・アンド・グローリー』で自身のキャリアと重なる役を演じ、59歳でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞。スペインとアメリカ、商業映画と芸術映画を行き来しながら、長年にわたり第一線で活躍を続けている。
製作者としてのキャリア
アントニオ・バンデラスは俳優業と並行して、映画制作にも積極的に関わってきた。1999年には自身初の監督作『パッション・イン・フローレンス』を発表し、ルネサンス期の芸術家を題材にしたこの作品で、演出家としての感性を示した。また、製作会社グリーン・ムーン・プロダクションを設立し、スペイン映画を中心にプロデューサーとしても活動している。俳優としてのキャリアを補完するかたちで、芸術性と自国文化を重視した企画を数多く手がけている点が特徴である。
受賞歴・代表作
2019年の『ペイン・アンド・グローリー』でカンヌ国際映画祭 男優賞を受賞し、アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされた。代表作には、国際的な評価を確立した『デスペラード』、伝説の英雄を演じた『マスク・オブ・ゾロ』、芸術性の高い再共演作『私が、生きる肌』、ファミリー映画として成功した『スパイキッズ』シリーズ、そして役者としての円熟を見せた『ペイン・アンド・グローリー』などがある。ハリウッドとスペイン映画界を往復しながら、ジャンルを超えて活躍してきた俳優として知られている。