静かな佇まいに宿る、孤高のスター性
本名キアヌ・チャールズ・リーブス。1964年9月2日、レバノン・ベイルートにて、ハワイ出身の父とイングランド出身の母のもとに生まれる。父は地質学者、母は衣装デザイナーとして活動していたが、キアヌが3歳の頃に両親は離婚。以後、カナダのトロントで母とともに育ち、カナダ国籍を取得している。
学生時代はアイスホッケーに打ち込み、プロ選手を目指していたが、怪我により断念。演劇に関心を持ち始め、地元の舞台に出演しながら俳優としてのキャリアを模索するようになる。1984年、20歳でテレビ映画『Hanging In』に出演し映像作品デビュー。その後、アメリカに拠点を移し、独特の存在感と感受性を武器に、徐々にハリウッドでの地位を築いていった。
キアヌ・リーブスの経歴
俳優としてのキャリア
1984年、20歳のキアヌ・リーブスはテレビ映画『Hanging In』で映像作品デビューを果たす。1986年にはアメリカに活動拠点を移し、1989年、25歳のときに出演した青春コメディ『ビルとテッドの大冒険』がスマッシュヒット。無邪気な若者役で人気を博し、ハリウッドでも注目される存在となった。
1991年には、ガス・ヴァン・サント監督の『マイ・プライベート・アイダホ』でリバー・フェニックスと共演。ストリートで生きる若者を内省的に演じ、演技派俳優としての評価も獲得した。1994年、30歳で主演したアクション映画『スピード』が世界的な大ヒットを記録。サンドラ・ブロックとの共演でアクションスターとしての地位を確立し、以降のキャリアに大きな転機をもたらした。
35歳となった1999年にはSFアクション映画『マトリックス』で主人公ネオ役を演じ、サイバーパンク的世界観と哲学的テーマを背景にシリーズを代表する存在となる。『マトリックス』三部作は2003年まで続き、世界的な興行的成功とともにキアヌの代名詞的作品となった。
一方で、私生活には深い悲劇もあった。1999年、恋人ジェニファー・サイムとの間に授かった娘が死産。2001年にはジェニファー自身が事故で急逝し、大きな喪失を経験する。この出来事は本人の内面にも影響を与え、以降は私生活を極力公にせず、静かに俳優業に専念する姿勢を貫くようになる。
2014年、50歳で主演した『ジョン・ウィック』が大ヒット。過去を背負った孤高の殺し屋という役柄は、これまでのキャリアとも重なる人物像として高い支持を集め、続編も次々と制作された。アクションのリアリズムと感情表現を融合させたこのシリーズは、第二の代表作として定着している。
近年も『マトリックス レザレクションズ』(2021年)、『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(2023年)などに出演し、アクション俳優としての第一線を維持している。長年にわたり私生活を派手にせず、誠実な人柄とプロ意識の高さで知られるキアヌ・リーブスは、世代や国境を超えて支持される“静かなアイコン”として確固たる地位を築いている。
製作者としてのキャリア
キアヌ・リーブスは俳優業に加え、プロデューサーとしても活動している。2013年には、自ら主演と製作を兼ねた『マン・オブ・タイチ』で初の監督を務め、中国とハリウッドをまたぐ格闘アクションとして国際的な評価を受けた。また、ドキュメンタリー『Side by Side』(2012年)では製作とナビゲーターを担当し、映画制作のデジタル移行をテーマに、映画人へのインタビューを通じて業界の変化を掘り下げた。さらに、スタントマンやアクション専門家と共同で設立した制作会社「カンパニー・フィルム」で『ジョン・ウィック』シリーズの開発にも関与。俳優としての経験を活かしながら、映像表現の舞台裏にも積極的に関わっている。
受賞歴・代表作
1994年の『スピード』でMTVムービー・アワード最優秀男優賞を受賞し、アクションスターとしての評価を確立。その後、1999年の『マトリックス』でサイバーパンク映画の象徴的存在となり、同シリーズは世界的な評価と多数の技術賞を獲得した。
代表作には、無垢な若者像を演じた『ビルとテッドの大冒険』、演技派としての評価を高めた『マイ・プライベート・アイダホ』、世界的ブレイクのきっかけとなった『スピード』、SFアクションの金字塔『マトリックス』シリーズ、そして近年の代表作『ジョン・ウィック』シリーズがある。