クリント・イーストウッド

アメリカ映画を体現した孤高の西部男

本名クリントン・イーストウッド・ジュニア。1930年5月31日、アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる。父は製鉄業に従事し、母は工場勤務を経て会計事務所に勤める堅実な家庭だった。大恐慌の影響で一家は転居を繰り返し、イーストウッドはアメリカ西部を移動しながら育つ。学生時代はスポーツ万能で、高身長と端正な顔立ちもあり周囲の注目を集めていた。

高校卒業後は多様な職を経験しつつ、兵役を経て演技の道へと進む。1950年代初頭にロサンゼルスで俳優養成所に通いながら端役出演を重ね、徐々にテレビドラマでの露出を増やしていく。1959年、29歳で西部劇ドラマ『ローハイド』の主要キャストに抜擢され、これが俳優としての本格的なスタートとなった。

クリント・イーストウッドの経歴

俳優としてのキャリア

1959年、29歳のクリント・イーストウッドはテレビ西部劇ドラマ『ローハイド』でロディ・イエーツ役に抜擢される。長身と鋭い眼差しを活かした端正なカウボーイ像で人気を博し、シリーズは全7シーズンにわたって放送された。この作品で全米に広く知られる存在となったイーストウッドは、テレビから映画への本格的な転機を迎える。
1964年、34歳で主演したイタリア製西部劇『荒野の用心棒』は、当初小規模な国際共同制作にすぎなかったが、彼の寡黙な演技とアンチ・ヒーロー的キャラクターがヨーロッパで大きな反響を呼ぶ。セルジオ・レオーネ監督とのこの出会いは、のちの“マカロニ・ウエスタン”ブームを牽引する形となり、『夕陽のガンマン』(1965年)、『続・夕陽のガンマン』(1966年)と続く“ドル三部作”で国際的スターの地位を確立。イーストウッドはアメリカ国内でも注目され、映画界の最前線へと押し出されていった。

1971年、41歳のときに主演した『ダーティハリー』では、法と暴力の境界を行き来するサンフランシスコ市警の刑事ハリー・キャラハンを演じ、その強硬な言動と時代の治安不安とが重なり、社会現象的なヒットを記録した。以降も『ダーティハリー』シリーズは5作まで続き、アメリカン・アクションの象徴的存在として名を刻むこととなる。
1970年代から80年代にかけては、『シノーラ』(1973年)、『アウトロー』(1976年)、『ガントレット』(1977年)、『ファイヤーフォックス』(1982年)、『ハートブレイク・リッジ』(1986年)などに主演し、無口で屈強、だが内に複雑な葛藤を抱える男というキャラクター像を確立。これらの役柄は、戦後アメリカ社会における男性性の一つの理想像ともされ、保守的な価値観の象徴として議論を呼ぶことも少なくなかった。

私生活では1953年、23歳のときにモデルのマギー・ジョンソンと結婚。二人の子をもうけるが、イーストウッドは早くから複数の女性との交際を同時に続けていたことが知られており、婚姻関係は長らく形骸化していた。1984年に正式離婚。その後も女優ソンドラ・ロックとの長期交際や、事実婚関係を含め複数のパートナーとの間に子を授かるなど、私生活は常に注目を集め続けた。1996年にはニュースキャスターのディナ・ルイスと再婚し、1996年に娘が誕生したが、2014年に離婚している。

1992年、62歳で監督・主演を務めた『許されざる者』は、老いた元ガンマンの内面を描いた西部劇で、イーストウッド自身の過去作品への決別とも解釈された。作品はアカデミー賞作品賞・監督賞を含む4部門を受賞し、彼は俳優としてだけでなく監督としての名声も確立した。この時期から、彼のフィルモグラフィは“老い”“贖罪”“孤独”といったテーマに深く向き合うものへと移行していく。
2003年には『ミスティック・リバー』、2004年には『ミリオンダラー・ベイビー』を監督し、後者では再びアカデミー賞作品賞・監督賞を受賞。主演も務めたイーストウッドは、70代にして再びハリウッドの中心に返り咲いた。2008年の『グラン・トリノ』では、退役軍人の孤独と地域社会との軋轢を描き、自身のイメージと重なる役柄に世代を超えた共感が集まった。
2018年、88歳で主演した『運び屋』では、再び老いと罪を描いた主人公を演じ、俳優としての円熟と持続する演技力を証明。90代に突入した後も、監督・製作・主演を続けており、2021年には『クライ・マッチョ』で再びスクリーンに登場。ハリウッド黄金期から21世紀に至るまで第一線を走り続ける、映画史上まれに見る俳優・映画作家としての存在である。

製作者としてのキャリア

クリント・イーストウッドは1970年代から監督・製作業に進出し、俳優と並行してキャリアを築いてきた。初監督作は1971年、41歳で手がけたサスペンス『恐怖のメロディ』であり、監督としても一貫して自らの主演作品を演出・製作するスタイルを確立。1970年代後半には、自身の製作会社「マルパソ・プロダクションズ(Malpaso Productions)」を設立し、以降の多くの監督・主演作品の拠点となっている。

彼の製作活動は、大作路線とは異なり、脚本と主題性を重視した中規模の映画をコンスタントに作り続ける点に特徴がある。監督としての評価が大きく飛躍したのは1992年の『許されざる者』であり、その後も『パーフェクト ワールド』『チェンジリング』『J・エドガー』など、アメリカの歴史や倫理観を深く掘り下げる作品を数多く送り出している。

2000年代以降は『ミスティック・リバー』『ミリオンダラー・ベイビー』『硫黄島からの手紙』『アメリカン・スナイパー』など社会性と人物描写を両立させた作品群で、監督として複数のアカデミー賞ノミネートを重ねた。また、撮影・編集・音楽スコアの決定にまで関与するなど、制作全体における統率力も高く、スタジオからの信頼も厚い。
少人数チーム、短期間撮影、ローバジェットというスタイルを貫きつつ、長年にわたって高水準の作品を作り続けており、製作者としてもアメリカ映画史において特異な立場を占めている。

受賞歴・代表作

1992年の『許されざる者』でアカデミー賞作品賞・監督賞を受賞し、2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』でも同じく作品賞・監督賞を受賞。主演男優賞にも複数回ノミネートされており、俳優と監督の両面で賞レースの顔となる数少ない映画人の一人である。
代表作には、国際的スターの地位を確立した『荒野の用心棒』、社会現象となった『ダーティハリー』、老いと贖罪を描いた『許されざる者』、ヒューマンドラマとして高く評価された『ミリオンダラー・ベイビー』、そして晩年の代表作『グラン・トリノ』や『運び屋』などがある。60年以上にわたり変遷を続けるアメリカ映画のなかで、ジャンルと時代を越えて活躍し続けてきた稀有な存在である。

クリント・イーストウッドの出演作品(映画解説)

スポンサーリンク
ヒューマンドラマ

グラントリノ(2008)の解説・評価・レビュー

映画解説サイト。『グラン・トリノ』について、賛否両面からレビュー解説しています。その他、あらすじやキャスト、制作ウラ話などの情報が盛りだくさん!『グラン・トリノ』に似た映画の紹介なども行っています。ジャンル検索すると観たい映画が見るかるかも!?
スポンサーリンク