アメリカン・ヒーロー像を体現した多才な俳優
ケビン・マイケル・コスナーは、1955年1月18日にアメリカ・カリフォルニア州リンウッドに生まれた。父親は電力会社の従業員、母親は福祉施設の職員であり、家庭は中流階級に属していた。ドイツ、アイルランド、チェロキー系の血を引く。少年時代は一家の転勤により各地を転々とし、カリフォルニア州で育った。
大学ではカリフォルニア州立大学フラートン校に進学し、マーケティングを専攻。在学中に地域劇団で演技に触れ、興味を抱き始める。大学卒業直後、俳優としての人生を決定づけたのが、飛行機内で偶然隣り合わせた俳優リチャード・バートンとの出会いであった。バートンはコスナーに「夢があるなら追いかけるべきだ」と語り、その言葉に背中を押されたコスナーは演技学校に通い始める。下積み時代はトラック運転手やツアーガイドなどで生活費を稼ぎつつ、演技の訓練を重ねた。
スクリーンデビューは1981年の『マリブ・ビーチ物語』であるが、出演シーンは最終的にカットされた。正式な映画出演は1983年の『テスタメント』であり、その後『アンタッチャブル』(1987年)で広く知られる存在となった。
ケビン・コスナーの経歴
俳優としてのキャリア
1983年、28歳で『テスタメント』に出演し映画俳優として本格的にキャリアを開始したケビン・コスナーは、1985年の西部劇『シルバラード』で注目を集めた。1987年、32歳のときにはブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』に主演し、連邦捜査官エリオット・ネス役で知名度を大きく高めた。同年のスリラー『追いつめられて』でも主演を務め、二枚目俳優としての評価が確立された。
プライベートでは1978年、23歳のときに大学時代の同級生シンディ・シルヴァと結婚。1980年代半ばから90年代初頭にかけて3人の子をもうける。結婚生活は当時の報道でも「安定した家庭」とされていたが、後年になるとコスナーのスキャンダルや仕事の多忙さが原因となり、1994年、39歳で離婚している。
1989年、34歳で出演した『フィールド・オブ・ドリームス』では、幻想と現実が交差する野球映画の主役を演じ、多くの視聴者の印象に残る存在となった。1990年、35歳で監督・主演・製作を兼ねた『ダンス・ウィズ・ウルブズ』が全米で大ヒット。アカデミー賞作品賞・監督賞など7部門を受賞し、自身も監督賞を受賞する快挙を成し遂げた。
1990年代前半には『ロビン・フッド』(1991年)、『ボディガード』(1992年)、『パーフェクト・ワールド』(1993年)など興行的成功作が続き、ハリウッドのトップスターとして地位を確立した。私生活ではこの時期に女優ブリジット・ルーニーとの間に非嫡出子が誕生。1996年には一部メディアで認知と養育費支払いを巡る報道が注目を集めた。
1994年、39歳で『ワイアット・アープ』、1995年、40歳で超大作『ウォーターワールド』に主演。製作費の高騰や内容への批判から、キャリアに陰りが見え始める。1996年には『ポストマン』を再び監督・主演するも興行・評価ともに厳しい結果となった。
1999年、44歳で『メッセージ・イン・ア・ボトル』に主演し、ロマンス映画における新たな一面を見せた。2000年の『13デイズ』ではケネディ政権下の政治スリラーに挑戦し、年齢と共に演じる役柄も渋みを帯びていった。
2003年には『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』で再び西部劇に挑み、監督・主演を兼任。2013年、58歳のときには『マン・オブ・スティール』でクラーク・ケントの養父役を演じ、次世代の視聴者にも印象を残した。
2004年、49歳でモデルのクリスティン・バウムガートナーと再婚。3人の子を授かり、再び家庭生活を築く。しかし2023年、68歳で離婚を申請されたことが報じられ、公私ともに再び転機を迎える。
2020年からはテレビシリーズ『イエローストーン』に主演。大牧場を経営する家長という役柄で新境地を開き、年齢を重ねた俳優としての存在感を再確認させた。2024年、69歳で長年温めていた西部劇大作『Horizon: An American Saga』の監督・主演を務め、自らのルーツとも言えるジャンルへと再び立ち返っている。
製作者としてのキャリア
ケビン・コスナーは1990年に自身が主演・製作・監督を務めた『ダンス・ウィズ・ウルブズ』で本格的に製作者としてのキャリアを開始した。同作はアカデミー賞で作品賞と監督賞を含む7部門を受賞し、コスナーは映画製作者として高い評価を受けることとなった。その後も『ワイアット・アープ』(1994年)、『ポストマン』(1997年)、『オープン・レンジ』(2003年)などで監督・製作を兼任し、西部劇やアメリカの歴史を題材にした重厚な作品づくりを続けている。2024年には4部構成となる西部劇大作『ホライゾン:ア・アメリカン・サーガ』の製作・監督を手がけ、自身の制作会社Territory Picturesを通じて自費で資金を調達したことでも話題を呼んだ。
受賞歴・代表作
1990年の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でアカデミー賞監督賞と作品賞を受賞。俳優としては同作で主演男優賞にもノミネートされた。
代表作には、野球映画として知られる『フィールド・オブ・ドリームス』、政治スリラーの金字塔『JFK』、実話に基づく法廷ドラマ『13デイズ』、ロマンスとサスペンスを融合させた『ボディガード』、FBIとギャングの対決を描いた『アンタッチャブル』などがある。