シャロン・ヴォニー・ストーンは、1958年3月10日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州で生まれた。幼少期から知能指数が高く、5歳で小学校の学習内容を理解し、15歳でエディンボロ州立大学に飛び級で入学。しかし、女優への夢を追い求め、大学を中退し、ニューヨークでモデルとして活動を開始した。
1980年、ウディ・アレン監督の『スターダスト・メモリー』で映画デビュー。その後、『トータル・リコール』(1990年)で注目を集め、『氷の微笑』(1992年)でセクシーでミステリアスな小説家を演じ、一躍世界的なセックスシンボルとなる。1995年の『カジノ』では、ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)を受賞し、演技派女優としての地位を確立した。
私生活では、1984年に助監督と結婚するが1987年に離婚。その後、ジャーナリストと1998年に結婚するも2004年に離婚し、3人の養子を育てている。2001年には脳卒中で倒れ、回復に7年を要したが、その後も女優として精力的に活動を続けている。
シャロン・ストーンの経歴
俳優としてのキャリア
シャロン・ストーンは、1980年にウディ・アレン監督の『スターダスト・メモリー』で映画デビューを果たす。初期のキャリアでは、『キャノンボール2』(1984年)や『キング・ソロモンの秘宝』(1985年)などのアクション映画に出演し、徐々に知名度を上げていった。
1990年、アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSF映画『トータル・リコール』で主人公の妻役を演じ、一躍注目を集める。そして、1992年の『氷の微笑』でミステリアスな小説家キャサリン・トラムエル役を演じ、その官能的な演技が話題となり、世界的なセックスシンボルとしての地位を確立した。同作はセンセーショナルな描写で賛否を呼びつつも、ストーンの演技は高く評価され、ゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされた。
その後も、1995年の『カジノ』でロバート・デ・ニーロと共演し、ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)を受賞。アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされ、演技派女優としての評価を確立する。以降、『ラストダンス』(1996年)、『グロリア』(1999年)、『ミューズ』(1999年)など、多様なジャンルの作品に出演し、幅広い演技力を見せた。
2000年代以降は、映画だけでなくテレビドラマにも出演し、2003年には『ザ・プラクティス ボストン弁護士ファイル』でエミー賞ゲスト女優賞(ドラマ部門)を受賞。2006年には『氷の微笑2』で再びキャサリン・トラムエルを演じたが、前作ほどの成功には至らなかった。その後もコンスタントに映画やドラマに出演し、近年ではインディペンデント映画にも積極的に関わっている。
製作者としてのキャリア
シャロン・ストーンは俳優業だけでなく、映画制作にも関与している。1990年代後半から製作総指揮として映画に携わるようになり、1996年の『ラストダンス』では主演に加えて製作総指揮も務めた。本作は死刑制度をテーマにした社会派ドラマで、ストーンは映画の制作過程にも積極的に関与し、作品のメッセージ性を強める役割を果たした。
その後も、1999年の『ミューズ』で製作に携わり、映画業界を風刺したコメディ作品に挑戦。近年では、インディペンデント映画の支援にも力を入れており、映画製作を通じて新たな才能の発掘にも貢献している。
また、映画以外の分野でも活動を広げており、人権問題や医療支援活動にも積極的に関与。特に、HIV/AIDSの啓発活動に尽力し、国際的なチャリティーイベントの主催や支援を行うなど、社会的な影響力を持つ人物としても知られている。
受賞歴・代表作
シャロン・ストーンは、1995年の『カジノ』でゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)を受賞し、アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされた。本作では、ロバート・デ・ニーロ演じるカジノ経営者の妻ジンジャーを演じ、その情熱的かつ破滅的な演技が高く評価された。
また、2003年にはテレビドラマ『ザ・プラクティス ボストン弁護士ファイル』にゲスト出演し、エミー賞ゲスト女優賞(ドラマ部門)を受賞。映画だけでなく、テレビ界でも存在感を示した。
代表作には、『トータル・リコール』(1990年)、『氷の微笑』(1992年)、『カジノ』(1995年)、『ラストダンス』(1996年)、『ミューズ』(1999年)などがある。官能的な役柄からシリアスな演技まで幅広くこなし、ハリウッドの第一線で活躍し続けた。近年では、映画だけでなく社会活動にも力を入れ、多方面で影響力を持つ存在となっている。