知性と危うさを纏う、ハリウッドの“氷の女王”
シャロン・ストーン(本名:シャロン・ヴォーン・ストーン)は1958年3月10日、アメリカ・ペンシルベニア州ミードビルに生まれた。父親は工場労働者、母親は会計士という中流家庭に育ち、4人兄妹の次女である。幼少期から知能指数が高く、15歳で高校を卒業し、その後ペンシルベニア州エディンボロ大学で創作文学を専攻した。
在学中に地元のミスコンで優勝したことをきっかけにモデルとして活動を開始。ニューヨークに拠点を移してファッションモデルとして成功を収めたが、次第に演技の世界に関心を抱くようになる。1980年、22歳のときにウディ・アレン監督の『スターダスト・メモリー』で端役として映画デビューを果たし、俳優としてのキャリアを歩み始めた。
シャロン・ストーンの経歴
俳優としてのキャリア
1980年、22歳のシャロン・ストーンはウディ・アレン監督の『スターダスト・メモリー』で映画デビューを果たした。その後、『警察署長 ジェッシイ・ストーン』(1981)や『キング・ソロモンの秘宝』(1985)などに出演し、アクションや冒険映画で存在感を示すも、主に脇役としての活動が続いた。1980年代後半にはテレビドラマや小規模な映画出演が中心となり、キャリアは一時低迷する。
1990年、32歳のときに出演したポール・バーホーベン監督の『トータル・リコール』でアーノルド・シュワルツェネッガーの妻役を演じ、一躍注目を集める。そして1992年、34歳で主演した『氷の微笑』で一気にスターダムを駆け上がる。知的で妖艶な小説家キャサリン・トラメル役は大きな話題を呼び、セックスシンボルとしてのイメージが定着した。
1993年には『スロウ・バレット』、1994年には『スペシャリスト』などに出演し、主演女優としての地位を固めた。1995年、37歳でマーティン・スコセッシ監督の『カジノ』に出演し、ドラッグと暴力に翻弄される女性ジンジャー役を演じてアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
私生活では、1984年にテレビプロデューサーのマイケル・グリーンバーグと結婚するが1990年に離婚。1998年、40歳のときに編集者のフィル・ブロンスタインと再婚し、2000年に養子を迎えるが、2004年に離婚している。
2000年代以降は出演作が減少するも、2006年には『氷の微笑2』で14年ぶりにキャサリン役を再演。以後、『ラヴレース』(2013)や『告白小説、その結末』(2017)などで助演を重ね、円熟味を増した演技を披露していく。
2021年には回顧録を発表し、自身が若い頃に受けたハラスメントや健康問題について語った。脳卒中を含む深刻な健康被害からの回復を経て、ストーンは俳優としてだけでなく、社会活動家としての側面も強めている。
製作者としてのキャリア
シャロン・ストーンは俳優業だけでなく、映画制作にも関与している。1990年代後半から製作総指揮として映画に携わるようになり、1996年の『ラストダンス』では主演に加えて製作総指揮も務めた。本作は死刑制度をテーマにした社会派ドラマで、ストーンは映画の制作過程にも積極的に関与し、作品のメッセージ性を強める役割を果たした。
その後も、1999年の『ミューズ』で製作に携わり、映画業界を風刺したコメディ作品に挑戦。近年では、インディペンデント映画の支援にも力を入れており、映画製作を通じて新たな才能の発掘にも貢献している。
また、映画以外の分野でも活動を広げており、人権問題や医療支援活動にも積極的に関与。特に、HIV/AIDSの啓発活動に尽力し、国際的なチャリティーイベントの主催や支援を行うなど、社会的な影響力を持つ人物としても知られている。
受賞歴・代表作
1995年の『カジノ』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)を受賞。キャリア初期から知性と美貌を併せ持つ存在として注目され、サスペンスやドラマにおける象徴的な役柄を築いた。
代表作には『氷の微笑』『カジノ』『トータル・リコール』『スペシャリスト』『告白小説、その結末』などがある。