ジャン・レノ(本名:フアン・モレノ・イ・エレーラ=ヒメネス)は、1948年7月30日、スペイン領モロッコ(現モロッコ)・カサブランカで生まれた。両親はスペイン・アンダルシア地方出身で、フランコ政権の独裁を逃れるためモロッコへ移住した経緯を持つ。17歳のときにフランス国籍を取得し、軍務を経た後、演劇学校で本格的に演技を学んだ。
俳優を志したきっかけは、幼少期から映画に興味を持っていたことに加え、フランス移住後に演劇の世界と出会ったことによる。舞台俳優として経験を積み、1970年代から映画やテレビドラマにも出演。1980年代にはリュック・ベッソン監督と出会い、『最後の戦い』(1983年)でスクリーンデビューを果たした。この作品を機にベッソン作品の常連となり、のちに世界的な成功を収めることとなる。
ジャン・レノの経歴
俳優としてのキャリア
ジャン・レノは、1983年のリュック・ベッソン監督作『最後の戦い』で映画デビューを果たした。本作ではセリフのない役柄ながら、その存在感が評価され、以降もベッソン作品に継続的に出演するようになる。1985年の『サブウェイ』、1988年の『グラン・ブルー』で注目を集め、特に『グラン・ブルー』ではダイバーのエンゾ役を演じ、フランス国内外での知名度を高めた。
1994年には『レオン』で主演を務め、冷徹ながらも少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)との交流を通じて変化していく殺し屋を演じ、国際的な評価を確立した。この作品をきっかけにハリウッドにも進出し、『ミッション:インポッシブル』(1996年)や『RONIN』(1998年)などの大作に出演。2000年代以降も『クリムゾン・リバー』(2000年)、『ピンクパンサー』(2006年)、『ダ・ヴィンチ・コード』(2006年)など、幅広いジャンルの映画で活躍している。
フランス映画界でも精力的に活動を続け、『クリムゾン・リバー』シリーズや『イミテーション・ゲーム』(2014年)などで存在感を示した。シリアスな役柄だけでなく、コメディ映画『ビジター』(1993年)などでコミカルな演技も披露しており、幅広い演技力を持つ俳優として知られている。
製作者としてのキャリア
ジャン・レノは俳優としての活躍が広く知られているが、製作者としても映画業界に関与している。2000年代以降、フランス映画界を中心にプロデューサーとしての活動を本格化させ、自身が主演する作品の製作にも携わるようになった。
2011年にはフランスのアクション映画『22ブレット』(原題:L’Immortel)の製作に協力し、主演も務めた。本作はフランスの実在のマフィアをモデルにしたクライム・アクションであり、レノのキャリアの中でも重要な一作となった。また、映画やテレビドラマの企画段階から参加することもあり、フランス国内の若手監督やプロダクションと積極的に関わる姿勢を見せている。
加えて、国際的な映画祭にもたびたび出席し、審査員を務めることもある。自身のキャリアを通じて得た経験を活かし、フランス映画の発展や若手映画人の育成にも貢献している。俳優業に加え、製作や映画界全体の発展にも関心を寄せるレノの姿勢は、フランス映画界において独自の影響力を持ち続けている。
受賞歴・代表作
ジャン・レノは、フランス国内外で高い評価を受けており、数々の映画賞にノミネートされてきた。1994年の『レオン』では、フランスのセザール賞で主演男優賞にノミネートされ、国際的な評価を確立した。2000年には『クリムゾン・リバー』で再びセザール賞の主演男優賞にノミネートされ、フランス映画界における地位を確固たるものにした。
代表作としては、1988年の『グラン・ブルー』、1994年の『レオン』、1996年の『ミッション:インポッシブル』、1998年の『RONIN』、2000年の『クリムゾン・リバー』、2006年の『ダ・ヴィンチ・コード』などが挙げられる。特にリュック・ベッソン監督とのコラボレーション作品は、ジャン・レノのキャリアの中でも重要な位置を占めており、彼の国際的な成功の礎となった。
また、コメディ映画『ビジター』(1993年)シリーズでも人気を博し、アクション映画のみならず、ユーモアのある演技でも観客を魅了した。キャリアを通じて幅広いジャンルの作品に出演し続けるジャン・レノは、フランス映画界のみならず、世界の映画ファンからも支持される俳優である。