ジャン・レノ:多文化が育んだ、欧米で活躍する個性派俳優
本名はJuan Moreno y Herrera‑Jiménez。1948年7月30日、当時フランス保護領モロッコのカサブランカで生まれる。スペイン・アンダルシア出身の両親がフランコ政権を逃れてモロッコに移住した家庭で育ち、スペイン語、フランス語、アラビア語など多言語環境の中で幼少期を過ごした。
17歳で家族とともにフランスへ移住し、パリの演劇学校で演技を学ぶ。徴兵を経て劇団を立ち上げ、1979年に『Clair de femme』で映画デビューを果たす。以降、リュック・ベッソン監督作品を中心に活躍し、1994年の『レオン』で国際的に注目される存在となった。
ジャン・レノの経歴
俳優としてのキャリア
1968年、19歳でモロッコ・カサブランカからフランスに移住。パリの演劇学校で学び、徴兵制による軍務を経た後、1977年から舞台俳優として活動を開始。同年、最初の妻ジェヌヴィエーヴと結婚し、1978年に長女サンドラ、1980年に長男ミカエルが誕生している。
1979年に映画デビューを果たし、1983年、34歳で出演したルック・ベッソン監督の『最後の戦い』で無口な戦士役を演じ注目を集める。1985年の『サブウェイ』では地下鉄に生きる男たちを描いた作品に脇役として出演。1988年には『グレート・ブルー』で潜水士エンゾを演じ、フランス国内で大ヒットを記録。セザール賞助演男優賞にノミネートされるなど、キャリアの転機となった。
1990年には『ニキータ』で秘密工作員ヴィクトルを演じ、後の代表作『レオン』への伏線ともなる存在感を示す。1991年に最初の結婚が解消されたのち、1993年には主演したコメディ作品『レ・ビジターズ』が大ヒット。セザール賞主演男優賞にもノミネートされ、国民的俳優としての地位を確立した。
1994年、46歳のときに主演した『レオン』でプロの殺し屋レオン役を演じ、全世界に知られる存在となる。ナタリー・ポートマンとの共演が話題を呼び、冷徹さと人間味を併せ持つ演技が評価された。翌1995年にはモデルのナタリー・ディシキェヴィッチと再婚し、1996年に次男トム、1998年に次女セレナが誕生。
1996年、『ミッション:インポッシブル』でハリウッドデビューを果たし、続く1998年にはアクション映画『ロニン』や超大作『GODZILLA』で国際的な知名度を高めた。2000年には『クリムゾン・リバー』で陰のある刑事を演じ、フランス発のスリラー作品として興行的成功を収める。2001年には『ワサビ』で主演、日本人キャストと共演するなどアジア圏へのアプローチも見せた。
2006年には『ピンク・パンサー』でスティーヴ・マーティンと共演し、国際コメディ作品にも進出。同年には『ダ・ヴィンチ・コード』でフーシュ警部役を務め、世界的ベストセラー原作の映画化作品に出演。同年、3度目の結婚としてモデルのゾフィア・ボルツカと再婚し、2009年に三男シエロ、2011年に四男ディーンが誕生。このときジャン・レノはすでに還暦を迎えていた。
2013年、テレビシリーズ『JO』で主演を務め、連続ドラマという新しい表現形式に挑戦。以降も『クロース』『レジスタンス・ヒーローズ』『クレオパトラとフランケンシュタイン』など多岐にわたるジャンルの作品に出演。2024年には小説『Emma』を発表し、文筆分野にも進出している。
受賞歴・代表作
ジャン・レノはアカデミー賞の受賞歴はないが、1994年の『レオン』で国際的に高い評価を受け、代表作として知られる。1993年の『レ・ビジターズ』では主演を務め、フランスで大ヒットを記録。代表作に、『グレート・ブルー』(1988)、『ニキータ』(1990)、『レオン』(1994)、『GODZILLA』(1998)、『クリムゾン・リバー』(2000)、『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)などがある。